この作品は樹のポートレイトです。
  広島・長崎の被爆樹を原爆投下後60年目の2005年8月6日と8月9日に撮影しました。
  しかし範囲が意外と広く(同心円状に残るため)、広島は一日では撮りきれず、やむなく8月
  11日にも撮影いたしました。
  晴天の朝の光の中ですべてを焼き滅ぼしなぎ倒したさらに強烈な火(光)にさらされながら生
  き延びた樹木を、人と同じく呼吸する(呼吸は一つの燃焼であるため)夜にとらえようとしま
  した。
  被爆者の方々が高齢化し、亡くなる方も多い中、生命あるものとして被爆を体験したものはこ
  の樹々だけが残ることになるのかもしれません。
  これらはかつてないほどの「火」にさらされ、75年間は草木も生えないと言われた土から、水
  を吸い上げ生え残る生命の泉としての樹々であり、一度限りの生命の永遠性にとっての希望の
  証でもあります。
  2005年
  その後、福島第一原発の事故により、日本はまた被曝の脅威にさらされることになりました。
  自らの手で国土と海と空と人とを汚すことになったことについて、被曝の先輩である樹々は何
  を語るのでしょうか?